文政っていうから・・天保のちょっと前・・やがてペリーの黒船来航のころだ
後にこの金糸の打ちかけを着ることになる
ひとりの若い女性がお城にあがった・・
浜松城・・老中井上河内守の許である
四十歳で若年寄 四十六歳で年寄りとなり・・五十四歳でお城下がりとなったらしい
家名とともに拝領したのがこの急須だったようだ
これを初めて見たとき・・・酒注かと思った
形が変わっていたからだ
でも 茶漉しの穴があるからやっぱり急須だとわかった
このお婆さん・・どうやら私のご先祖である
浜松藩主でもある幕府老中 井上河内守のお側用人
殿様の奥向きを仕切ったのだろう
下世話にも何やら艶っぽさなど想像したりもするが
養子をとって名字帯刀を許されたところをみると
殿さまの信頼厚かったに違いない
晩年に身につけたと伝わる打ちかけの端切れと共に
我が家に伝わるこの急須
六代を経て・・まさかの陶芸家の手許に残った・・ことになる
実に手のこんだ急須である
薄手の磁器に藍の染つけ
玉露煎茶に似つかわしい急須のようだ
よくも壊れずに残ってきたものである