浅草寺の鐘楼

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「私、浅草の生まれなのに、浅草寺の除夜の鐘って撞いたことないのよね・・」、
妻のこの一言に、親友のA君が応えてくれた。「よし!何とかしよう・・」。
A君は、親子代々浅草で開業する医師である。我が家のホーム・ドクターもしてくれている。
浅草っ子のお医者さんというわけだから、地元では仲々の顔役である。

大晦日の夕刻、A君の自宅で年越しの蕎麦を食べながら、夜更けを待って浅草寺に繰り出した。10年近く前の大晦日のことである。
鐘楼のすぐ下に「暮れ六つ」という老舗の料理屋さんがあるが、ここが世話役さんでもあり、集合場所でもあった。

それぞに撞き番の札が渡される。108枚しかない貴重な札である。
鐘を撞きたいひとは山ほどいるが、言ってみれば世話役さんたちへの推薦状みたいなもので決まるらしい。百八つの何枚かは、寺の総代さんとか、地元の役員さんたちの指定席のようだ。頭とお尻はこうした常連さんが撞く。

やがて日付が変わるころ、列を作って鐘楼の前に並んだ。
最初の一突きが誰だったのか私には見えなかったが、真下で聞く鐘の音は迫力がある。
人ひとりがやっと昇れるほどの狭い階段を順番に上がってゆく。そして、礼をして、寺僧の介添えで次々に撞いてゆく。

撞くたびに、鐘楼を囲む大勢の初詣客から声がかかったり、拍手が起こる。
とりわけ、浅草や向島の芸者衆が華やかな着物姿で上がってくると、掛け声は一段と賑わう。
今でこそ勘三郎を襲名した当時の中村勘九郎が登場したときは、芸者さんたちも色めきたった。

妻の撞き番は忘れたが、百に近いころだったような気がする。
無事に撞き終えて、鐘楼を下りると若い芸者さんから縁起物の記念品が手渡された。
百八つのうち107は旧年に撞き、108の最後が新年というのが慣わしと聞くが、その夜どうだったのか覚えていない。

念願がかなって、やや高揚した妻にとって年越しの夜風の冷たさも気にならなかったに違いないが、カメラをもってじっと待ち続けた私には、やはり寒い夜だった・・。

今年も、除夜の鐘が近づいてきた。
煩悩を振り払うということのようだが、今の世の中百八つでは到底足りそうにない。
by kamadatetsuya1017 | 2005-12-22 00:58 | 風物
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