聖書

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私はクリスチャンではないが、バイブルは持っている。
この赤い皮表紙の聖書、1980年に自分で買ったものである。
歴史上最大のベスト・セラーはどうやら聖書らしい。
2000年にわたってこの地上で読み継がれてきた総数は、天文学的な数字に違いない。

この聖書、発行するには、普通のトレンディーなベスト・セラーとはおよそ違った苦心があるようだ。
先ずは繰り返し読まれることが前提だから、装丁の頑丈さが必要。ページがバラバラになっては困るのだ。

携帯することもあるから、なるべくコンパクトがいい。それには薄い紙を使う。
薄くても弱くては破れてしまう。もしこの写真のバイブルを普通の出版物と同じような紙を使えば、ゆうに電話帳二冊以上の厚みになってしまうと聞いた。
だから、小さい本だがずっしりとした重さがある。

この重さは、クリスチャンだけのものではない。
西欧世界そのものが、長い歴史の中で背負ってきたものである。
信者の教典であると同時に、西欧世界の暮らしのバックボーンでもあった。
親のしつけ、学校の指導の前に、神の教えがある。しつけや教育のバックボーンでもあるのだ。

旧約聖書の中の「箴言」の冒頭、ソロモンの箴言は、
「我が子よ、あなたは父の教訓を聞き、母の教えを捨ててはならない・・」から始まる。
ここに書かれていることは、特別な信仰がなければ解らないことではない。
極く普通に生きてゆく上で、道しるべになりそうなことばかりなのだ。

丁度、一昔前、「少年老い易く、学なり難し」と、論語を読んだのに似ている。
これらは、教育のカリキュラムであるよりは、先人の教えを受け継いでゆく文化のようなものだ。思想としてよりも情操として身につけてきたことなのだ。

今、こうした手引きがなくなってしまった。それが何を信じてよいのかを混沌とさせている。
教育を再考するまえに、この国に長く息づいてきた文化が何かを・・取り戻さねば変わりようもないような気がする・・。
by kamadatetsuya1017 | 2005-12-21 09:39 |
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