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行く末

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何故かこの二本の大木、妙な切り方されたようだ。
ひこ生えの細々とした枝、四方八方行方も定かではない。
この枝から、新しい幹は育つのだろうか。
そうだとしても、随分と時間がかかるに違いない。
できれば、真っ直ぐ天をめがけるものであってほしいが・・。

・・・よくよく眺めてみると、まるで今の日本のような気がしてならない・・。
by kamadatetsuya1017 | 2005-12-30 23:02 | 風物

距離

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人間の賢さって・・
多分、人間同士の距離が判ることじゃないかな・・・
気持ちの良い距離・・・これって実に難しい

傍にいても・・遠い距離があれば
離れていても・・近い距離もある

距離に託するもの・・・それもこころなのかも
お互いが・・お互いに
望むがままの距離を計れれば
ひとはきっと穏やかな気持ちになれそうだ

「共に立て! 
しかれどもあまりに近づきたることなかれ
寺院の柱の離れてあれど
共に立ちたるごとくあれ・・・」

カーヒル・ギブラン「預言者」より
by kamadatetsuya1017 | 2005-12-29 23:58 | 風物

餅つき

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病院の事務長時代から縁あってずっと昵懇にしてきた農家がある。
先代の爺さん夫婦以来である。ふたりとも既に亡い。その上、彼女のご主人も異境に去った。
年に一、二度、訪ねて線香をあげる。そのうちの一度が、毎年の今日である。

12月28日、この日が餅つきである。明日では九日餅で縁起が悪いらしい。
今ではこの家の当主の○子さんに、
「私が生きてる間は、毎年あんたの餅はついてあげる・・・」、と言ってもらって、事務長は辞しても、買えば結構するこの餅を手にすることができるわけだ。
私も、その年に作った器を幾つか見つくろって手土産にする。人寄せの多い農家には、少し大振りな器が重宝である。今年は鉢にした。

「今朝は3時に起きて、きっと夜までかかるわ・・・」。
彼女の実家から届いたもち米3俵、180キロを一日でつくのだそうだ。大きな蒸篭が三枚、一日中湯気をあげている。昔のようには人手もないから機械を使うが、それでもつきあがった餅をのして形にするのは全て手仕事である。結構な重労働だ。

勿論、自家消費だけでこんなには要らない。毎年常連の注文客がいて分けている。
スーパーで買う餅と違って腰もあれば粘りもあるから、雑煮にして煮崩れることもない。だから、注文は減ることがないようだ。

いつものように昼少し前に訪ねた。丁度つきたてをみんなで食べるのだ。
お手伝いの若いひとたちと一緒に、からみもあんこもきな粉も、勿論雑煮も食べる。餅の好きな私には、欠かせない暮れの恒例になっている。

彼女は、漬物作りの名手でもある。だから餅と一緒に漬物もいただく。
沢庵と白菜、これがまた美味いのである。これも大量に作る。
納屋に並んだ大きな樽から無造作に出してくれるが、節料理に飽いたころ、これで白い飯を食うのがいい。

「・・年内にもう一度おいでよ・・山東菜が漬けごろになるから・・」。
そういうわけで、大晦日の再訪を約束し、つきたてののし餅5枚を抱えて車に運んだ。勿論、漬物もだが、あと数日で終わる年の瀬に、豊かな気分を味わうことができた。縁とはありがたいものである・・。
by kamadatetsuya1017 | 2005-12-28 23:52 | 風物

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人類にとって、火は「発明」だろうか、それとも「発見」?

大抵の資料では「発見」となっている。それも概ね50万年くらい昔のこと。
しかし、初めて見つけるのが発見だとすれば、人類はもっと昔から火を見ていたはずだ。火山の噴火もあったろうし、太陽光の自然発火も、落雷による火事もあった。同じ理由で、発明というのも当てはまらない。初めて作ったわけではないからである。

そうしてみると、文明史は、「火が利用できることを発見した」というのが正確である。
人間が人間以外と明確に区別されるのはこの火の利用であって、それは今でも同じである。たがが火ではあるが、まさにされど火である。

この功罪は、あまりにスケールが大きくてにわかには断定できないが、負もまた大きいのは事実だ。今世界に起こっている争いのかなりは、突き詰めれば「火」の問題である。
熱交換という技術は、火を見ない火を沢山作った。文化的な生活の大部分は、多様なエネルギーの熱交換技術に頼っている。だから石油が問題だし、原子力も同じである。これも、「火が利用できる」発見の行き着くところだったのだ。
火は紛争の火種にもなってしまった。武器は火器なのである。

プロメテウスの神話は、こうした意味でも暗示的といえる。
ゼウスの怒りをかったのは、プロメテウスが人間に火を教えたからなのだ。

炎の見えない火の中で暮らしていて、たまにこうした薪が燃えるのを見ていると、原初の火の何と穏やかで、暖かくて、見つめて飽きないものかに驚く。
家(いえ)は、かまどの(へ)に接頭詞の(い)がついたのが語源と聞いた。
かまどの火のそばにひとが集まるのが家なのだ。
そのかまどの火は・・こうしたチロロとした柔らかな火だったのだろう。
by kamadatetsuya1017 | 2005-12-28 00:41 | 風物

ラ・レクチェ&吊るし柿

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果物は嫌いではないが、近頃、酸味にやや弱い。従って、柑橘類だと思わず引いてしまうのだ。
「うわぁ~~あま~い!」ってな声につられて、つい口に入れた瞬間、顔がひん曲がる。だからどうってことはないのだが、これを繰り返していると顔が疲れる。みかん一個でヘトヘトである。

そういうわけで、なるべく酸っぱくないのがいい。
夏場のスイカ、これは間違いない。安心して食えるが、ややでかいのが難点だ。葡萄の類も、まぁ大丈夫である。僅かに酸味は感じるが、柑橘類とは大分違う。バナナ、これは安全中の安全。しかし、食後には向かない。結構腹が膨れるからだ。

新潟産洋梨の王様、ラ・レクチェ、片や、徳島産吊るし柿。目下の贅沢である。
どちらも頂いたものだが、感謝の気持ちを込めて、私の器に盛った。

ラ・フランスが出回っているが、私はこのラ・レクチェの方が好きだ。
飲めない私が言うのも変だが、フレイバーなビンテージ・コニャックみたいとでも・・。
秋になると、柿はいつでも買い置きしてある。夜食に一個なんて具合で減ってゆく。生まが普通だが、干し柿も大好きである。こちらのほうが甘い。
子どもの頃、田舎の軒下にはいつも干してあった。日差しの中で渋が甘さに変わるのが不思議でならなかった。
果物というより、パティシエの世界のようでもある。ねっとりとした果肉は、ゆっくりと喉元を過ぎてから、秋の陽の乾いた匂いをかぐわせる。

送ってくださった方に・・「ありがとう!」って言いながら、今夜もいただくことにしよう。
by kamadatetsuya1017 | 2005-12-26 21:05 | 食べ物

酒と薔薇の日々

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妻と娘が連れ立って、時々でかけるイタリアン・レストランがある。
「武藤さんのライブがあるから、ディナーの予約しといたわよ・・」。
今夜のライブは予定していたが、行きつけの店とは知らなかった。

「武藤さんのお知りあいということなので、前の方にテーブルをとっときました・・」、俗に言えばかぶりつきである。ドラムスのすぐそばで、スティックがぶつかりそうだ。

武藤晶子・・、大好きなジャズ・ピアニストである。
元は、東京パンチョスというフルバンドのハウス・ピアニストだった。懐かしいバンドだが、今はもう解散してしまった。
その武藤さんと一緒に組んでコンサートをしていたのは、もう10年近く前のこと。

私が詞を書き、畏友の丹羽元夫が作曲、それをうめのかずこが唄ったが、そのバックはいつも武藤さんのピアノだった。
「竹を割ったような・・」といえば男の形容詞だが、彼女は例外的(?)に「竹を割ったような女」だったような気がする。
だから、殆ど初見に近いリハーサルも、何のけれんみもなく、あっさりと受けてたってくれたものだ。

本番当日の朝、急に目に出血が起こり、あわやNGかと慌てたことがあったが、
「ちょっと急いで医者に行ってくるね」、眼帯で片目をふさがれたまま本番をこなしたこともあった。
研ぎ澄まされた包丁でスカッと切り分けた絹ごし豆腐のように、シャープで確かな音を出すピアニストである。

ディナーを食べながらの2時間、二度のステージを聴いた。
ピアノとベースとドラムス、いわゆるピアノ・トリオというやつだが、武藤さんが選んだ相棒たちも、また憎っくきテクニシャンである。
ロック全盛時代に、こうしたジャズ特有の省略する音のバランスは、やっぱり大人の音楽である。ジャズは職人芸と言ったら怒られるだろうか?

「ミスティー」の後に「何かリクエストある・・?」、すかさず「酒と薔薇・・・!」と声を掛けた。「じゃボサノバで・・」。
そして最後に強烈にアップテンポな「キャラバン」で終わった。
追加で頼んだパスタを食べ終えたところだった・・。
by kamadatetsuya1017 | 2005-12-25 23:53 | 風物

門松

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「・・エッ??何かおっしゃいました?」
深夜のナース・ステーション、仮眠組とは別にたったひとり仕事していた看護婦が、休憩のつもりで珈琲を入れながら、私にそう聞いた。
「いや・・別に・・どして?」
「今 そこで男のひとの声がしたから・・・やだぁ・・ときどき聞こえるんですよ、事務長さんのいるあたりで・・」

私には、皆目霊能力はない。霊を見たことも、聞こえたこともない。夢さえ滅多に見ないし、見ても死んだ人間がでてくることもない。
しかし、今日までの人生を振り返ると、何か見えざる力で守られてきたような気がしてならない。
とりわけ身体のことでそれを感じる。何度かあった大病の危機を、いつも幸運な方向で逃れてきたからである。ご先祖さまかもしれないし、八百万の神さまかもしれない。

工房に大きな窯を備えつけたとき、窯場に神棚を作った。
本焼きの都度、お神酒を添えて手を合わせた。ずっとそうしていた。
「事故なく無事に終わらせてください」、そんなことを祈った。
1200度は、何かあったら自分の力ではどうしようもないからだ。

ある時、うっかり忘れて火を入れた。それでも何も起こらなかった。
それからついつい忘れる。途中で思い出して、慌てて手を合わせた。
でもこんなことしてるとバチがあたるかも・・・気のゆるみは油断大敵だからだ。
次の窯炊きは、必ずお神酒を捧げて祈願することにしようと、思っていた。

今日、このサイトでもお馴染みのかこさん夫妻がお友だちのゴイックさんと一緒に工房に見えた。
「この門松・・さしあげようと・・一夜飾りにならないように早めにね・・」。
こんな立派な門松飾るのは何十年ぶりのことだ。記憶にないほど遠い日のことである。

今朝、ご自分で作ったものである。この写真は小さいほう。大きいのはフレームからはみ出てしまう。有難くいただいて、工房に飾った。
やっぱり神様を大事にしなきゃ・・と、改めてこころに命じた。そういう仕事でもあるのだ。

今日は、工房の忘年稽古、みんなで会食しながら轆轤を回したりもした。
かこさんを交え・・・持ち寄った料理はみんなのお腹に納まって、仕事納めの一日は終わった。
by kamadatetsuya1017 | 2005-12-24 22:53 | 風物

南瓜

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月並みといえば月並みだが、夕食にかぼちゃの煮つけがでてきた。
従兄弟の小豆を連れずだったが、我が家では従兄弟煮より、独り煮(?)のほうが普通だ。
そういえば、昨日が冬至、今日からは僅かながら日差しが伸びてるはずである。

中国の胡から伝来の瓜(うり)を胡瓜(きゅうり)、西の国ウィグルあたりからの瓜(うり)なら西瓜(すいか)、そして南蛮渡来の瓜が南瓜(かぼちゃ)というわけだ。

南と西があって、東と北には瓜はないのか?と思ったら、同じことを考えるひとはいるもんだ。色々調べてみたが、どうやらないらしい。
これもひとつの推理として、東は太平洋だし、北は極寒、野菜果物には不向きだからか・・だが、やっぱりそうらしい。

ところが、北瓜のいう地名はある。北海道だ。南瓜は北海道産が多いから、北瓜で南瓜を作っていたら、こりゃ洒落だ。「北瓜産南瓜」・・このラベルいけそうだ。

南瓜煮、これ好きである。昔の田舎の子を見るような素朴で、しかし温かな懐かしさがある。
ただただ南瓜だけのシンプルさがいい。この甘さもいい。ビタミン色ってこんな色かもだし、カロチンもこの色が似合う。

食後に飛びついてきた桃次郎に、南瓜を一切れ与えた。美味そうに食っていた・・・。
by kamadatetsuya1017 | 2005-12-23 21:34 | 食べ物

アイドル

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彼が初めて工房に来たとき、お母さんと一緒だった。
「この子がどうしてもやってみたいというものですから・・試しに体験させたいんですけど・・」
「粘土で怪獣とか作ってみたいの?」
「・・・うぅうん」
お母さんと話してる間、彼は轆轤を挽く大人の仕種をじっと凝視していた。

約束の日、2時間くらいを夢中で粘土に触れてカップを作った。怪獣もどきにはまるで無関心のようだった。
幾つかの作品が焼きあがって暫くしたら、またお母さんと一緒に来た。
「ちゃんとやってみたいって・・ですからお願いできますでしょうか?」
それで彼は教室に入会することになった。

Yちゃん、10歳、小学校4年生である。サッカー少年でもある。
私の教室の最年少、大人にまじって轆轤を挽いている。教室のアイドルになった。
どうやって教えるか、私にも試練だ。大人に使える説明で、使えないものが沢山ある。だから言葉で教えないことにした。手本を見せて繰り返させるのである。何度でも・・・。

幸いというか、彼にはたっぷりと時間がある。52歳で始めた私の陶芸とは大違いだ。
「Yちゃん! ちゃんとしたことやるかぁ・・だから休んでもいいけどやめるなよ。中学生になるころにはメチャ上手くなるぞ・・・!」
「うん」
「じゃ・・来週も来いよ・・ハィ指きりげんまん!」

今夜のYちゃんの轆轤勇姿である。もういっちょ前の構えだ。
高台削りの稽古だったから、やってみせて繰り返していた。

彼は、私のやって見せたことを真似してるはずだったが、ふと気づくと自分で工夫しているのに驚いた。削りカンナの刃先の向け方、見せたこと以上に使っているのである。
何をしようとしているか、ちゃんと理解しているのだ。かなり核心に触れた技術だからである。
この発見は嬉しい。このまま続いてゆけば・・・、期待が膨らんだ夜だった。

「Yちゃん! サッカー選手じゃなくてさ・・陶芸家になるか?」
「・・・うん!」 頼もしいアイドルである。
by kamadatetsuya1017 | 2005-12-22 23:14 | 陶芸

浅草寺の鐘楼

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「私、浅草の生まれなのに、浅草寺の除夜の鐘って撞いたことないのよね・・」、
妻のこの一言に、親友のA君が応えてくれた。「よし!何とかしよう・・」。
A君は、親子代々浅草で開業する医師である。我が家のホーム・ドクターもしてくれている。
浅草っ子のお医者さんというわけだから、地元では仲々の顔役である。

大晦日の夕刻、A君の自宅で年越しの蕎麦を食べながら、夜更けを待って浅草寺に繰り出した。10年近く前の大晦日のことである。
鐘楼のすぐ下に「暮れ六つ」という老舗の料理屋さんがあるが、ここが世話役さんでもあり、集合場所でもあった。

それぞに撞き番の札が渡される。108枚しかない貴重な札である。
鐘を撞きたいひとは山ほどいるが、言ってみれば世話役さんたちへの推薦状みたいなもので決まるらしい。百八つの何枚かは、寺の総代さんとか、地元の役員さんたちの指定席のようだ。頭とお尻はこうした常連さんが撞く。

やがて日付が変わるころ、列を作って鐘楼の前に並んだ。
最初の一突きが誰だったのか私には見えなかったが、真下で聞く鐘の音は迫力がある。
人ひとりがやっと昇れるほどの狭い階段を順番に上がってゆく。そして、礼をして、寺僧の介添えで次々に撞いてゆく。

撞くたびに、鐘楼を囲む大勢の初詣客から声がかかったり、拍手が起こる。
とりわけ、浅草や向島の芸者衆が華やかな着物姿で上がってくると、掛け声は一段と賑わう。
今でこそ勘三郎を襲名した当時の中村勘九郎が登場したときは、芸者さんたちも色めきたった。

妻の撞き番は忘れたが、百に近いころだったような気がする。
無事に撞き終えて、鐘楼を下りると若い芸者さんから縁起物の記念品が手渡された。
百八つのうち107は旧年に撞き、108の最後が新年というのが慣わしと聞くが、その夜どうだったのか覚えていない。

念願がかなって、やや高揚した妻にとって年越しの夜風の冷たさも気にならなかったに違いないが、カメラをもってじっと待ち続けた私には、やはり寒い夜だった・・。

今年も、除夜の鐘が近づいてきた。
煩悩を振り払うということのようだが、今の世の中百八つでは到底足りそうにない。
by kamadatetsuya1017 | 2005-12-22 00:58 | 風物