photo-column この一枚・・・:人
2010-08-24T21:34:08+09:00
kamadatetsuya1017
本業は陶芸家のフォト・コラム・・楽しいおつきあいを・・・
Excite Blog
ウィンストン・チャーチル
http://kamadatets.exblog.jp/10055750/
2009-08-02T00:11:00+09:00
2009-08-02T08:42:40+09:00
2009-08-02T00:11:58+09:00
kamadatetsuya1017
人
ネットでウロウロしていたら・・こんな言葉を発見した
『・・過去を遠くまで振り返ることができれば、未来もそれだけ遠くまで見渡せるだろう・・』
ウィンストン・チャーチルの言葉だそうだ
言い換えれば・・
「昨日のことしか振り返ることのできない人には・・精々明日のことしか見えないだろう」・・でもある
考えてみれば・・賢さとは
知っている知識の量ではない・・想像できる範囲の広さのことだ
洞察 慧眼・・いずれも量ではなく・・質を表す言葉だ
つまり・・知識は昨日であり・・想像は明日
昨日を明日に変える力・・過去を未来に活かす力
それが賢さだと・・私は思う
だから・・
知識の量をもって秀才としようとした教育の本質的な間違いは
その知識が・・想像の深さを育むためのものだと・・教えなかったことだ
折角遠くまで振り返る知識を持ちながら・・
精々明日のことしか考えられない貧弱な想像力
この矛盾に満ちた半熟卵たちが取り仕切る現代社会
たった3年前に終わったばかりの小泉イズムの壁さえ乗り越えられない・・政治家たち
自らの無能を隠蔽するために・・簡単に人を切れる仕掛けに奔走した・・経営者たち
国家百年の計とは・・自ら栄華を極める手順だと信じて疑わない・・官僚たち
人類千年の歴史を紐解けば・・国家の指導者たるべき者には・・
犯すべからざるタブーがあって・・
犯せば死をもって償うほどの不名誉なことである
チャーチルの言葉にこんなのもあった
『金を失うことは小さく失うことだ・・名誉を失うことは大きく失うこと・・しかし勇気を失うことは全てを失うことだ』
指導者としてのタブーを破ったと思うのは・・
権力を手放すことを受け入れる勇気を真っ先に失い
自らの立場を汚す不名誉にうごめき・・
そのくせ・・
密かに金だけはなんとかしたい・・と暗躍するおぞましさ
政治家に限ったことでない・・経営者も官僚も似たようなものだ
チャーチルの警鐘に・・身を正すのも勇気だが
期待するのも無理なのだろうか
誰とは言わないが・・
多勢の指導者たちの猛省なくしてこの国に将来はない
ついでに書けば
『その国の高齢者の状態を見ると、その国の文化の状況がわかる 』
これもチャーチルの言葉とある
老人をどう遇するか・・国にも礼節は必要だと説いている
この国の文化に不安を抱く老人たち・・
皮肉にも・・日に日に数は増えてゆく
世界に冠たる「長寿の国」ではあっても
世界に冠たる「文化の国」ではないようだ
真夏にうそ寒い話ではないか・・・
]]>
カディスの赤い星
http://kamadatets.exblog.jp/9546399/
2009-04-03T01:09:22+09:00
2009-04-03T01:10:48+09:00
2009-04-03T01:10:48+09:00
kamadatetsuya1017
人
ボタニカル・アートの第一人者だった太田洋愛氏の遺作展
10日ほど前にお訪ねした・・二度目のこと
没後20周年・・李下に道あり・・沢山のファンが集まっていた
洋愛画伯のご子息は・・大学の一年後輩
同じクラブ・・50本ほどのギターアンサンブルで一緒だった
私は指揮だったが・・彼はフラメンコ・ギターを好んで弾いた
「半分仕事で・・半分遊びだけど・・
セラニートを招いてフラメンコ・ギターのコンサートを開くことにしました
たまには・・いかがですか・・?」・
太田君からの誘いがあったのは・・去年の暮だったろうか
半分仕事というのは
彼の本業が・・テレビ東京ミュージックの社長
モーニング娘などを抱えるプロモーターなのだ
残りの半分が遊びなのは・・
言うまでもなく・・彼自身がフラメンコのギターを弾くからである
日中・・前日から始まった菊池ビエンナーレの展覧会で
自分の作品を眺めた後・・妻を連れ立ってコンサートに出向いた
早めに着いた会場には・・
それらしき愛好家が多いように見える
今となっては・・メジャーな音楽ではないかもしれないが
一方では・・深くフラメンコを愛する人々もいる
このコンサートのもう一つのコンセプトは
直木賞作家逢坂剛さんのステージ・トークで
コンサートをナビゲートするということだ
彼もまたフラメンコ・ギタリストでもある
「カディスの赤い星」・・彼の受賞作だが
スペインとフラメンコギターが舞台なのだ
ロビーで立ち話をしていた大田君から紹介されたが
逢坂剛氏は・・実は高校時代の一年後輩でもある
同じ時代にキャンパスにいたのだが
彼が作家だと知ったのは・・随分と後のことである
洒脱なトークで・・伝説のマエストロと・・
それを継いでゆく若きギタリストの素描が
音楽の合間を埋めあわせ
切々とした哀感に共振する心情を
何とはなしにニュートラルに戻してくれたりもする
おしゃれなコンサートなのだ
マエストロ・・この言葉が一番ふさわしい
ビクトル・モンヘ・セラニート・・私と同じ歳
しかし・・彼はまぎれもなくマエストロ・・巨匠である
音楽が早くなればなるほど
激しくなればなるほど・・
彼の指はしなやかに・・力を抜く
音は強いが・・優しく
6本の弦は・・それぞれに琴線なのだ
一緒に演奏した沖仁・・日本を代表する若手のギタリストだそうだ
セラニートのもとへ押しかけ・・入門を乞うた折り
「・・弾いてごらん・・」といわれて弾いたファルーカを
途中で遮られて・・最後までは弾かせてもらえなかったとか・・
「今夜は最後まで弾かせてもらえるでしょうか・・?」と言いながら
聴いている者全てを魅了して・・最後まで弾いた
いつの日か・・大半の力を抜いても
強くて・・激しくて・・甘くて・・切なくて・・
そして・・セラニートのような優しい音色を手にするためには
今は・・若者らしく力強い演奏こそがふさわしい
充分に・・将来を予見させる演奏だった
]]>
野辺の花
http://kamadatets.exblog.jp/9519394/
2009-03-27T22:56:00+09:00
2009-03-27T23:04:57+09:00
2009-03-27T22:57:39+09:00
kamadatetsuya1017
人
うめのかずこ
1987年から10年間・・クラップス・コンサートという
クラシックとポップスを一緒に演奏するコンサートを主催してた時代がある
クラップス・コンサート
そのコンサートの歌手が・・うめのかずこ・・だった
シャンソンを得意にしてるが・・スタンダード以外に
私が詞を書き・・親友のミュージシャン丹羽元夫が作曲したオリジナルも歌った
「野辺の花」・・はその中の一曲・・いつもフィナーレで歌った
ちなみに・・タイトルバックの演奏は・・丹羽のキーボードである
今・・彼女は福岡を拠点に・・
ライブでシャンソンを歌い・・スタジオで教えてもいる
つい先月・・展覧会で福岡に出向いた折り・・・久しぶりに再会した
「折角のブログ・・せっせと更新しなきゃだめじゃない・・か」
「・・・」
忙しいのと・・不得手なのとで口ごもった
それが・・このブログ・・
でもタイトルバックに私の歌を使ってくれている
ちょっと紹介したい気分になった
オーケストラ・バックで歌ったり
同じ舞台にいるジャズのピアノ・トリオでも歌った
どちらをバックで歌うにせよ・・歌手としての実力を試される
そう仕掛けたのは・・彼女の恩師ともいうべき丹羽元夫だった
オーケストラの後ろでドラムスを叩いているのが彼である
一部では・・室内楽などのクラシックを演奏し
二部では・・シャンソンやジャズ・・
それに書き下ろしオリジナルを数曲発表するのが恒例
ユニークなコンセプトが評判になって毎年・・チケットは完売した
彼女のために作った歌は・・50曲ほど
今でも・・スタンダートのシャンソンの合間に・・
オリジナルをまじえて歌っている
二枚目のCDをリリースしたとき
頼まれてライナーノーツを書いた
既に陶芸家に転向していたが・・
歌とやきものの間にさえ・・
共通するもののあることを知ってほしいと
書いたのがこれだった
福岡近辺にお住まいの方
何かの折りに見つけたら・・
応援してやってくださいと・・お願いでした
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ピアニスト 武藤晶子
http://kamadatets.exblog.jp/9008070/
2008-12-03T00:46:00+09:00
2010-08-24T21:34:08+09:00
2008-12-03T00:47:29+09:00
kamadatetsuya1017
人
ライブ・コンサートがやがて始まろうとして
だから気になるとこだけでも・・リハーサルを・・って
そこまではいつもの通りだったが
突然・・「ちょっと眼医者さんに行ってくるわ・・」
我慢してた痛みが限界だったらしい
やがて・・おおきな眼帯をつけて現れたピアニスト
それが武藤晶子だった
もう20年も昔のことだろうか・・
譜面が読めなきゃ弾けない・・なんて
そんなヤワなピアノじゃない
その夜・・彼女のピアノで歌ってたのが・・
うめのかずこ
今でも福岡で歌っている・・
ライブのシャンソン歌手の合間に教えてもいるようだ
ウェブのバックで聞こえてくる歌は・・
私が書いて旧友の丹羽元夫が作曲した「野辺の花」
「福岡じゃさ・・結構人気あるのよ・・
私のライブは・・いつもこれがフィナーレだもん・・」
うめのが歌って・・武藤が弾いた
それが・・Claps Concertだった
それぞれに・・住む世界は違ったが・・
音楽仲間としての・・つながりは今でも色濃いものがある
折々の折りにも書いたことがある
久しぶりに・・武藤さんのジャズを聴いた
遠い日・・初めて彼女のピアノを聞いたとき・・
彼女にとって・・ピアノは愛馬のようだった
存分に乗りこなして・・そして・・
気持ちよく走らせている・・そう思った・・だから
このピアノで・・気持ちよく歌えない歌手がいたら・・
そりゃ下手ってもんだ・・そういうピアニストなのだ
彼女に弾いてもらいたい歌手は・・たくさんいる
専門的なことはわからないが・・きっと彼女のピアノは・・
余計なフレーズを入れたりしない
もってまわったような感情移入もしない
必要な音だけで・・必要な音楽はできる
気持ちのよい音楽・・ってそういうもんだ
確かな音楽ってのも・・そういうもんだ・・と
久しぶりに・・武藤さんのジャズを楽しんだ
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松茸
http://kamadatets.exblog.jp/8838234/
2008-10-28T23:51:00+09:00
2008-10-29T01:37:22+09:00
2008-10-28T23:52:38+09:00
kamadatetsuya1017
人
いただきもの・・だが
久し振りに『松茸』を食べた
子供のころには・・さして珍しくもなく
手の届かぬ高根の花だった記憶もないが
今では・・フォアグラ・・トリフォ顔負けのようだ
バターで焼いて・・醤油で食べた
やっぱり美味しい・・笑
マツタケには・・懐かしい話がある
前回に書いたカナダ・バンクーバーの旅と深く関わる
この取材旅行中・・終始お世話になった人物
それがゴードン門田氏なのだが・・
調べたら・・3年前に日本で叙勲の栄を受けられている
ご健在のようだ・・嬉しい話だ
ゴードン門田氏の名前を久し振りに見つけたのは
いつのことだったか・・
大橋巨泉さんの海外事業のパートナーが彼だと聞いたときだった
さもありなん・・カナダで何かしようとしたら
これほどに心強いパートナーはいないに違いない
40年も昔のことだが・・
『世界の結婚式』の最初の取材がバンクーバーで
今と違って・・何の情報も手にできない時代だった
パソコンは勿論・・インターネットも携帯電話もない
彼がいなかったら・・わずかな滞在で
結婚式の取材は無理だったかもしれない
今でも・・その恩を忘れることはない
そそ・・肝心の松茸の話題のこと・・
その取材で滞在していたバンクーバーで
一緒に食事したある夜のこと・・・
ゴードン門田さんがこんな話をしたのだ
『・・日本にいる親戚の者がね・・季節になると
バンクーバーの私に・・マツタケを送ってくれるんだ・・
懐かしい日本の味を思い出してほしい・・ってね
日本では高価な食材だと聞いている・・
それに航空運賃をかけてのことだから
恐縮するほどの高いプレゼントなんだよね
勿論いつもちゃんとお礼をするけど・・
だけど・・どうしても言えない話があるんだよ
それは・・
カナダには松茸が掃いて捨てるほど生えてるってこと・・!
これ言っちゃったら・・今までの好意を
裏切っちゃうことだもんね・・
言えない・・でも・・いつかカナダのマツタケを
日本に輸出したい・・って計画してるんだ
きっと安く食べられるようになると思うからね・・』
今ネットで調べると・・
カナダからの松茸はたくさん輸入されている
ことによると・・ゴードン門田さんが
深く関係していたかもしれない
見かけたら・・カナダ産マツタケを買って食べてみよう
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知足庵屋根裏コンサート
http://kamadatets.exblog.jp/7910278/
2008-05-16T00:56:00+09:00
2008-05-16T00:58:24+09:00
2008-05-16T00:56:30+09:00
kamadatetsuya1017
人
「クラヴィチェンバロ・コル・ピアノ・エ・フォルテ」
5代将軍徳川綱吉の時代のイタリアで生まれた「ピアノ」の本名がこれだった
「強弱をつけることのできるチェンバロ」・・じゅげむみたいに長い名前だ
それが省略されて・・「ピアノフォルテ」となり・・
やがて「ピアノ」になった1700年代の初めのころのこと
してみると・・バロック音楽を聴くなら・・
チェンバロでなきゃぁ・・でもある
バッハは・・
ピアノを見たことはあるが・・弾いたことはないのだから・・
今年の新年に・・
同じ古楽器のヴィオラ・ダ・ガンバに触れることのできた「知足庵」で
先週の日曜日にチェンバロのリサイタルが開かれた
ヴィオラ・ダ・ガンバ
主催のN夫人は・・私の陶芸教室の生徒さんでもあるが
チェンバロ奏者でもあって・・
彼女の先生が・・副島恭子さんというわけである
この屋根裏に置かれたNさんのチェンバロは
ドイツ・メカの楽器だそうだが・・
実に繊細な音色で・・とても魅力的
日本の代表的なチェンバロ奏者に手に誘われて
しばし・・300年前の宮廷サロンを楽しむことができた
]]>
ジャック・ニクラウス
http://kamadatets.exblog.jp/7728721/
2008-04-18T10:52:00+09:00
2008-04-19T22:00:23+09:00
2008-04-18T10:52:48+09:00
kamadatetsuya1017
人
この写真は・・
2年ほど前に撮ってアップしたことがある
シャボン玉の底についた雫が・・まさに落ちる瞬間である
殆ど偶然に撮れた・・それこそ千分の一秒の世界かもしれない
しかし・・このとき・・
これを捕まえたくて何度もシャッターを切ったのを覚えている
いつだったか・・
今 日本橋の三越で開かれている東日本伝統工芸展の母体
日本工芸会が主催の勉強会で・・
審査を努める高名な陶芸家が・・こう話した
『日本伝統工芸展の審査にあたって・・
ここでは完璧な技術で作られたものでなければ通らない
しかし・・同時に
その完全な技術が作品に見てとれるようでは
これもまた通らない・・』
禅問答のような教訓だが・・
この意味が判るような気がした
ひとつの出来事を思い出したからだ
ジャック・ニクラウス・・不世出のプロ・ゴルファーである
前回のボビー・ジョーンズと対極に位置する天才だった
数年前・・セント・アンドリューズの全英オープンで現役引退を表明し
全ての観衆のスタンディング・オベイションで送られた
あの姿が目に焼きついている
かなり昔・・そのジャック・ニクラウスが来日した際に
NHKが収録した彼のレッスンを見たことがある
これひとつで・・色々なことが書けるほど
エピソードに富んだレッスンだったが
折々の折り 引退05/07/16
そのひとつ・・
「ニクラウスさん!
ドロー・ボールとフェード・ボールの打ち方の違いは
どのようにしているのですか・・?」
ドローとフェードってのは・・打ったボールが落下点近くで
僅かに左に曲がったり右に曲げたりする技術のことなのだが
彼の答えが凄かった
「・・私の場合・・
ドローを打ちたいなって思うとドロー
フェードがいいな・・って思えばフェード
そういうことかな・・・」
これを聞いた瞬間は・・
これじゃレッスンにならん・・かもだ
グリップがどうの・・スタンスがどうの・・とかの
技術的な解説があってのレッスン
誰もがそう思うから・・からかわれているのか・・
と感じた視聴者もいたに違いない
ここが天才でもあるが・・
まこと求道精神に満ちた努力のひと
ニクラウスの真骨頂だと思ったのは・・
つまり・・
曲げて打つのは技術だから
いわゆるグリップだのスタンスだのの違いはある
しかし・・それを教えれば誰でも打てるわけではない
もしも・・誰もがそう打てるようになるとしたら
それは技術を知ることではなく
その技術を繰り返すことなのだ
ニクラウスに聞かなくても
あらゆるレッスン書に・・技術は書いてある
できないのは・・繰り返して練習しないからに過ぎないのだ
ニクラウスは・・
殆ど完璧な技術を持っていた
しかし・・実際に打つ瞬間には
その技術は姿を消して・・願いだけが身体を動かしている
それで叶うほどに練習を重ねたから・・
だから大きく乱れたり・・狂ったりしなかったのだ
思っただけで・・願っただけでそれができるまで
飽きずに繰り返して稽古しろ!・・技術とはそうしたものだ
それが彼のレッスンだと・・私は感じた
技術が器に見えるようでは・・は
まだ消化しきれてない技は完全とはいえないよ
また技を見せようとする卑しさも・・不完全を糊塗するだけ
これもまた深い教えだと思える
冒頭の雫は偶然撮れたに過ぎない
しかし・・
野球やゴルフなどの球技のボールを追うカメラマンは
朝飯まえでこれを捕まえるだろう
目にもとまらぬ速さに目と指を慣らす
日々これを繰り返して決定的瞬間をゲットできるようになるのだから・・
どんなことでも
諦めずに繰り返し繰り返し練習していたら
人間って・・途方もないことができるようになるのだ
それだけのポテンシャルをもっている
それに気づくだけで・・
今している苦労は大したことではない・・と思えるのだ]]>
ボビー・ジョーンズ
http://kamadatets.exblog.jp/7694882/
2008-04-13T12:24:00+09:00
2008-04-14T23:06:48+09:00
2008-04-13T12:25:06+09:00
kamadatetsuya1017
人
早く寝たら・・早く目が覚めた
ほんとは早く寝て・・ゆっくり起きたかったんだけど
勝手に目が覚める・・歳のせいと言われるだけだ
目が覚めたら・・つけっぱなしのTVが
マスターズを中継していた
毎年この時期・・話題のゴルフ・トーナメント
1年の殆どをクローズしてこの日に備える
新緑のオーガスタ・ナショナルが美しい
『マスターズ・ゴルフ・トーナメント』
生みの親のひとりが・・ボビー・ジョーンズ
生涯をアマチュアに徹し・・しかし
ひしめくプロを凌いで・・
球聖と呼ばれた伝説のゴルファーである
彼の考え方で大好きな一言がある
「Old-man Par」・・パー爺さん・・という言葉だ
ゴルフをしないひとのために少し説明が必要かも・・
ゴルフは・・一言でいえば
遥かかなたのカップに
何打でホール・インできるか・・というゲームだ
だから・・このゲームで勝ち負けを決めるのは
打数が多いか少ないか・・なのに
それぞれのホールにパーという数字が決められている
短い距離だと・・パーは3 普通の距離が4で
長いコースはPar5である
これが標準打数という意味である
ひとつのホールを終るたびに
このパーに対して・・幾つ少なくて済んだか
あるいは・・何打余分に打ってしまったかに名前がついている
ひとつ少ないのがバーディーで・・二つならイーグル
滅多にない三つ少ない場合は・・アルバトロス
逆に一打余分がボギーで二打だとダブル・ボギーって具合である
よく考えると・・勝敗の上では・・だからどうなの?・・でもある
どっちみち・・最後に打数の少ない者が勝つ仕掛けだから
標準より多い少ないは・・無意味といえばいえなくないからである
にもかかわらず・・パーという標準打数が決まっているというのが
ゴルフの特徴でもあるし・・深い哲学でもあるのだ
ここでボビージョーンズのパー爺さんに戻ろう
彼のゴルフ哲学は・・まさにこのパー爺さんにあるからだ
曰く・・
『緊迫した試合をしているとき・・
私の頭にあるのは・・パー爺さんのことだ
ここは三打・・ここなら五打
私はこのパー爺さんに挑戦してゴルフをしている
三打を何とか二打で・・という具合にだ
私の場合・・敵対している相手が
今何打で回っているかで勝負しているわけではないのだ
そうすることで・・いつも落ち着いた気持ちでゴルフができる
もし・・今相手がボギーだから・・
ここはパーさえ取れれば勝てる
とでも思えば・・こころが乱れて
思い通りのゴルフにはなるまい
パー爺さんと語りあいながら・・
爺さん!・・どじゃ!・・一打勝てたぞ!
って・・プレイしてたら
いつの間にか強敵にも勝ってしまった・・ってわけだ』
これがボビー・ジョーンズの『Old-man Par』である
ゴルフだけじゃないような気がする
人がひとに勝ったか負けただけで生きていたら
それは殺伐としたものになるだろう
自分で自分に課した目標
その一里塚が『パー』であり
ひとつひとつを乗り越えて前に進む
相手はひとではなく・・自分の中にあるのだ
アマチュアがプロに勝ったから・・
だからボビー・ジョーンズが偉いのではない
自分が戦うべき相手が何かを・・
それを考えて生きたことが偉いのだと・・
私は思うのだ
マスターズ・ゴルフ・トーナメントで優勝することは
ゴルファーとしては最高の名誉に違いない
毎年たった一人の勝者に
グリーンのジャケットを与えて名誉を讃える
そのジャケットに手を通して・・
勝者は・・何を思うのだろうか?
]]>
石井画伯の贈りもの
http://kamadatets.exblog.jp/6004833/
2007-08-21T00:09:00+09:00
2007-08-28T00:01:46+09:00
2007-08-21T00:09:12+09:00
kamadatetsuya1017
人
昨日(8/21)
朝日新聞の地方版で各県の『第54回 日本伝統工芸展』の入選発表がありました
とうとうやりました!!・・入選しました(笑)
春の『伝統工芸新作展』に続き 本選にも通れたわけです
激痛の入院の褒美だとしたら・・こんな嬉しいことはありません
陰日なたに応援してくださった方々に・・こころから感謝です
少し詳しくは・・桃青窯696
少し体調が戻ったら・・この絵を・・
富士山麓のセカンドに運ぼうと思っていた
スペインのフェレイローラ村に庵を編む
石井画伯の作品である
彼のことは・・
このブログのカテゴリー『人』で何度も書いた
南総館山のもうひとつのアトリエを訪ねたのは・・5月
それから幾ばくもなく・・入院する羽目になって
その日は・・今日まで延びてしまった
そんなわけで・・
去年の10月以来のセカンド・・
窓も扉も全て開け放って
よどんだ空気を入れ替えた
猛暑の夏だが・・ここには自然の冷気がある
だから・・エアコンはまだなくて済みそうだ
お気に入りのソファーの背面が・・
この家のギャラリーとしては特別席にしてある
最初からピクチャー・ランプを据えつけておいたのも
それらしき待遇のため・・とも
今までは・・傲慢にもここには私の絵を置いていた
こんな具合にである
何点か・・個展で購入した絵もあるのに・・
でも・・石井画伯の作品だから
ためらうことなく・・席を譲ることにした
半世紀もの遥か昔
お互いに・・青雲の志を抱いて
同じ校門をあとにしたが
めぐりめぐって・・
一枚の大皿が彼のアトリエに飾られ
一枚の絵が・・ここにあるとなれば
どう遇するかは・・とても大事なことだ
それこそ・・友情そのものだから
置いてみたら・さすがである・
私の絵よりはるかに収まりがいい
まるでこの壁を計算したみたいではないか
スペインの底抜けに明るい光りが・・風に揺れる
そろそろ・・彼もまた日本に戻る頃合のはずだが
ここに招いて馳走できるほどに
かまだ食堂のメニューを勉強しておかねば・・である
どうせならと・・昨晩遅く独り車を走らせ
明け方には本栖湖に着いて・・夜明けを待った
夏の富士は・・スッピンで目覚める
晩秋からのあの冠雪の装いに比べれば
いささかフォトジェニックに欠けるが
独峰のシルエットは・・孤高の美とでも・・
]]>
ジャズ・ライブ
http://kamadatets.exblog.jp/5958298/
2007-08-12T09:35:00+09:00
2007-08-12T23:19:24+09:00
2007-08-12T09:35:07+09:00
kamadatetsuya1017
人
メールが届いていた・・
退院して間もなくのことだったが・・ジャズの誘い
隣り町の・・こじんまりとしたライブ・ハウス
初めての店で・・昨晩久しぶりに
武藤晶子さんのピアノ・トリオを聴いた
一緒に音楽活動してた時代は・・遥かに遠い
彼女の指が・・鍵盤に触れるたびに
タイム・トンネルを音楽が走る
揺らぐ紫煙さえ・・今は懐かしい
ジャズ・・特にピアノ・トリオは
コンサート・ホールよりライブがいい
酒と煙草に燻されて・・
人生の深い哀しみさえも
鈍い光りに浮き彫りにされる
アクースティックなベースのあめ色のように・・
「陶芸家さんなんですって・・?」「私も好きでね・・・」
店内には・・オーナーの趣味とみえて
そここに置かれた焼き物に混じって
魯山人や加守田章二の本があったりする
「あぁ~~あなたの作品見てますよ
あの波の紋様のね・・」
思いがけない出会いになった
ひとのつながりは・・
またこうして広がるのかもしれない
]]>
画伯のアトリエ
http://kamadatets.exblog.jp/5427154/
2007-05-18T00:28:28+09:00
2007-05-18T00:28:28+09:00
2007-05-18T00:28:28+09:00
kamadatetsuya1017
人
彼の・・制作拠点はスペインである
このブログのカテゴリー「人」をクリックするとそれがわかる
一方で・・房総半島の南端のあたりに
若いころ・・自分で建てた小さなアトリエもある
行ったり来たり・・
都会の雑踏とは無縁な・・静かな時間の中で
素朴な人間の匂いに包まれた情景画が生まれる
ここでも描ける
でも彼のモチベーションは・・
遥かなパステルカラーのフェレイローラ村にあるのかもしれない
中学高校時代に・・彼と一緒に机を並べた旧友二人を誘って
石井画伯のアトリエを訪ねたのは・・
近々スペインに戻ってしまう前に・・という
かねての約束だったからだ
美術工芸の類とは縁遠い進学校だったから
一途に東京芸大をめざした石井画伯は異端だったかもしれないが
今でこそ画伯の彼も・・専攻は工芸
かなり傷んではいるが・・窯も残っている
人間国宝の陶芸家教授の指導を受けて
「おれだって・・ロクロ挽いたぜ・・」
確かに伊羅保釉で焼いたぐい呑みが
今も健在である
彼が陶芸を捨てて・・油彩に走ってくれたから
同期に画家は彼ひとり・・
陶芸家も・・私ひとりってわけだ
さりながら・・・
出自の正しいアーティストの彼に
手土産とはいえ・・大皿一枚を抱いて出向くのは
やはり勇気がいる・・ものだ
でも・・全ては・・幼な馴染のよしみに包まれ
タイムトンネルの中には・・温かな空気だけが漂っていた
嬉しいではないか・・・
「パスタ食いに行こうぜ・・!」
太平洋の潮風に当たりながら
テラスデッキで・・・ワインと
このパスタ・・これが美味い
聞けばシェフは・・代官山にも店を・・とか
「飛行機の中って・・
電話も来客もない気ままな時間だから・・
嫌いじゃないよ・・!」
年に一、二度往復するたびに
個展があって・・
新しい画集と著作が出版される
豊かな晩節は・・
まさに豊饒の大地スペインの地平線の上に
確たる一線を描いて・・凛としているみたいだ
あっという間に・・
日が昇って・・日が沈んだ
「8月には戻るよ・・・」
また会おうぜ・・なのだ
てつ56・・more(76/569)
『易しいことを・・難しそうにやってるのは
すごく下手だから・・
難しいことを・・難しそうにやってるのは
少し下手だから・・
難しいことを・・易しそうにやってたら
それが上手くなったことかな・・
スポーツでも・・芸事でも・・
仕事でだって・・みんなおんなじだよ』 てつ56
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大したこと言ってるわけじゃないのに
やたら難しい議論してる政治家・・評論家・・大学教授
みんな下手くそなんだな・・
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フェレイローラ村の画伯
http://kamadatets.exblog.jp/5115913/
2007-04-08T20:47:00+09:00
2007-04-09T07:31:55+09:00
2007-04-08T20:47:39+09:00
kamadatetsuya1017
人
この春最後の個展は・・
5月の上旬・・広島で終わるらしい
終れば・・またスペインに戻るのだが
その間に・・
南総にある彼のもうひとつのアトリエを訪ねる約束をした
「ソトコト」って月刊誌に・・
絵じゃなくてさ・・スローフードがテーマで
取材があったんだぁ・・
ついでに読んでみて・・!
中学高校時代を一緒に育った同級生の石井崇画伯
彼のメールにそうあったから
買って読んだ
彼は・・東京藝術大学卒業のアーティスト
今流に言えば・・セレブな画家
でも・・
彼が出たのは絵画科ではなくて工芸科
だから・・今でも陶芸窯ももっている
卒後しばらくは広告代理店勤務もしたが
彼が本当にやりたかったのは
スペインを描くことだったようだ
自伝を読むと面白い
スペインに渡ったものの・・絵で食えるまで
テキヤもどきをして・・かの地を放浪した
セレブっぽさがないのが魅力的だ
今では・・シェラネバダ山麓に
素敵なアトリエとゲストハウスをもっている
アーティストとしての出自もさることながら
今手にしているライフスタイルにこそ
洗練された人間の魅力が溢れている
描いては・・飲み
飲んでは・・食う
彼の持論である「情景画」には
ひとの営みがなければならない
食は・・まさに営み
彼にとっては欠かせない画材なのだろう
飛行機嫌いの私には
スペインまでの長時間飛行は嬉しくない
だから1970年を最後に
ヨーロッパまで飛んだことはない
彼のゲストハウスを訪ねてみたい思いも
だからもうひとつ前向きになれないのだ
南総のアトリエで・・これならドライブで行けるから・・
番外編たかし56・・more(72/569)
『風景画という言葉がある
自然や街並みを描いた絵をいうのだが
どうもこの言葉に違和感がある
非日常的な世界だからこそ美化して描かれた
といった意味合いがあるからだ
風景画といった考え方も言葉も好きになれない
描くとは
そこに住む人々の生活をとおして
人間の物語を伝えることとしてとらえたい
大事なことは
人々の生活感をどのように理解するかにかかる
いってみれば 情景画なのだ
けっして風景ではない
情景には心の熱源になる素がたくさんつまっている
この熱源で胸をいっぱいにすると
ソロソロと自分色の幸福の姿さえも現れてきそうだ
そんな世界を描いた絵を情景画と呼びたい
そして
この熱源作りが・・私の仕事である』 石井崇56
スペインの情景を描くには
独自の画法が必要だったらしい
だから
水彩のように見えて・・これで油彩
底抜けに明るくて・・温かな
そんなスペインが溢れている
石井崇個展
4/18~4/24 さいか屋横須賀店 4/22 13:00 トークショー
5/3~5/9 天満屋広島アルパーク
お近くで時間がおありでしたら・・
のぞいてみてください・・
クラスメイトの陶芸家がそう奨めたとおっしゃれば・・・
女性ならば・・もしかしたら・・笑
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イシイ・タカシの世界
http://kamadatets.exblog.jp/3159392/
2006-05-31T20:55:00+09:00
2007-08-20T22:53:23+09:00
2006-05-31T20:55:16+09:00
kamadatetsuya1017
人
『風景画という言葉がある。
自然や街並みを描いた絵をいうのだが、どうもこの言葉に違和感がある
非日常的な世界だからこそ美化して描かれたといった意味合いがあるからだ。
描くことは、そこに住む人々の生活をとおして、人間の物語を伝えることとしてとらえたい。
大事なことは、人々の生活感をどのように理解するかにかかる。
いってみれば、情景なのだ。 決して風景ではない。
情景には、心の熱源になる素がたくさんつまっている。
この熱源で胸をいっぱいにすると、ソロソロと自分の幸福の姿さえ現れてきそうだ。
そんな世界を描いた絵を情景画と呼びたい。
そして、この熱源作りが、私の仕事である。』
・・・イシイ タカシ・・・
13歳から18歳までの多感な時代・・
イシイ・タカシは 我々のクラスメイトだった
その頃から画才に恵まれ特異な存在だった
卒業アルバムは彼が挿絵を描いた
後に芸大に進むことで
彼の才能は本物になっていった
スペインを拠点に
彼が歩いてきた道は・・
プロフィールを読んでいただけばわかるが
決してピュアなアトリエ芸術ではなかったかもしれない
しかし・・だからこそ
彼の言う「情景画」に説得力が生まれたに違いない
この絵は・・
水彩でもパステルでもない・・油彩である
彼独自の技法が
スペインの大地の底抜けの明るさを醸している
続きは・・・more・・で
新宿の駅近く・・
巨大なインテリジェント・ビルの地階の千代田鮨
数ヶ月に一度
メールの回覧一枚で同期の誰彼なく集まる
昨晩がそうだった
行けば誰かがいる・・そんな調子だが
世話役の尽力とこの店のオーナーもまた同期
30人ほどが気ままなアジトで食べては飲んだ
数十年ぶりの再会も珍しくなく
「あいつ・・誰だっけ・・?」
頭が薄くなると・・奇妙にみんなおんなじ顔に見えてくる
久しぶりにイシイ・タカシも現れた
展覧会の予定が済めば・・またスペインに戻るという
グラナダに近い南スペインのフェレイローラ村・・
きっと彼にとって終の棲家なのだ
「オレ・・芸大はさ・・工芸科で卒業してる
だから・・今も館山には轆轤も窯もあるよ・・
大分錆びてるけどね・・あはは」
「いつかこっちにいる時 訪ねるかぁ・・」
つい「轆轤教えようか?」
って言いそうになって・・やめといた・・
彼の師匠は藤本能道・・伝説の大家である]]>
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