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人類にとって、火は「発明」だろうか、それとも「発見」?

大抵の資料では「発見」となっている。それも概ね50万年くらい昔のこと。
しかし、初めて見つけるのが発見だとすれば、人類はもっと昔から火を見ていたはずだ。火山の噴火もあったろうし、太陽光の自然発火も、落雷による火事もあった。同じ理由で、発明というのも当てはまらない。初めて作ったわけではないからである。

そうしてみると、文明史は、「火が利用できることを発見した」というのが正確である。
人間が人間以外と明確に区別されるのはこの火の利用であって、それは今でも同じである。たがが火ではあるが、まさにされど火である。

この功罪は、あまりにスケールが大きくてにわかには断定できないが、負もまた大きいのは事実だ。今世界に起こっている争いのかなりは、突き詰めれば「火」の問題である。
熱交換という技術は、火を見ない火を沢山作った。文化的な生活の大部分は、多様なエネルギーの熱交換技術に頼っている。だから石油が問題だし、原子力も同じである。これも、「火が利用できる」発見の行き着くところだったのだ。
火は紛争の火種にもなってしまった。武器は火器なのである。

プロメテウスの神話は、こうした意味でも暗示的といえる。
ゼウスの怒りをかったのは、プロメテウスが人間に火を教えたからなのだ。

炎の見えない火の中で暮らしていて、たまにこうした薪が燃えるのを見ていると、原初の火の何と穏やかで、暖かくて、見つめて飽きないものかに驚く。
家(いえ)は、かまどの(へ)に接頭詞の(い)がついたのが語源と聞いた。
かまどの火のそばにひとが集まるのが家なのだ。
そのかまどの火は・・こうしたチロロとした柔らかな火だったのだろう。
by kamadatetsuya1017 | 2005-12-28 00:41 | 風物
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